【テートモダン】オノ・ヨーコ〜Yoko Ono Music of the mind

2024年2月よりオノ・ヨーコの作品がロンドンのテートモダンで展示されている。

わたしはお恥ずかしながら、彼女の作品を知らなかった。

予備知識なしで訪れたが、興味深い、面白い、知りたい、どうゆこと? がいっぱいになり、充実した時間を過ごせた。

凡人のわたしには、なぜ、どうして、何を見せられているの、何を聞かされているの、と思わずにはいられなかった。

参加型アートも多く、お嬢も楽しめた。

この中に入っているのはお嬢です

黒い布の中に入って好きに動いたり、、。ちなみに、これは中からは外が見える布らしい。わたしは、「かおなし」みたいだなぁと思いながら見ていた。

釘を打ち付けたり、、、

影をなぞって描いたり、、

お嬢が破れた箇所から覗いています

破れた一枚布?が置かれていたり、そして、覗き込むお嬢。

帰宅後には、彼女の作品を調べたり、ドキュメンタリーをみたりしているわたしがいる。

アートは全然わからないが、彼女の展示を訪れた後に、調べたり、興味を持っていることが、すでに「してやられてる」と思った。会場で彼女の作品をみている、パフォーマンスをみている時だけでなく、むしろ、会場を離れた後の方が引き込まれている。再度、まさにしてやられた状態だと認めざるを得なかった。

というわけでテートモダンでのヨーコ・オノの展示は2024年9月1日までです。

オノ・ヨーコさんは2024年で91歳になられたそう。

彼女の作品をみて、感じた後に、これらの作品を何十年も前に制作された、と思うと本当に斬新でより引き込まれる気持ちと彼女の思想が気になる。

何十年も前の作品だが、昨日制作しました、と言われてもまったく違和感がない。

アートの素人、そして凡人のわたしは、毎回、予備知識なしでアートを見に行き、訪れたあとに興味が出て調べる。そして、わたしは、その一連を一番楽しんでいるのだと思う。

エキシビションから帰った後に、彼女のドキュメンタリーをみた。

そこで、ジョン•レノンと出会った際のエピソードが語られていた。
オノ・ヨーコのエキシビションを見に来たジョン・レノンが、「アップル」という作品で台の上にりんごが置いてある、、、(だけ)の、その作品であるりんごを手にとって食べた、とのこと。そこで、ヨーコさんは、「私の作品になんてことするのよ」と思ったそう。

そう、それはもう彼女の「アート」なのだ。薄っぺらい凡人のわたしは、りんごが置いてあれば食べることもあるかもな、とか、まず、りんごを台の上に置いて、はい、これが私の作品です、と真剣に言えないだろう。思想が違うのだから、当たり前だ。だからこそ、わたしの興味がそそられる。

すっかり惹き込まれたわたしは、アート通の友人に、オノ・ヨーコについて熱く語っていた。不思議に思ってること、気になっていること、面白く感じていること。

万人に受け入れられている彼女の作品ですから、多くの人が「す、、、すばらしい!!」と最初から感銘を受けている人が多いのだろう、とは思うのだが、わたしのように、会場ではひたすら映像に流れるお尻を見ている時など、なにをみせられているのかね、、とか思いながら、気になっていき虜になる人もいるのだろうね。

そんなオノ・ヨーコさんやアート作品について考えたあとは、お嬢の全ての行動が受け入れやすくなった。(一時的かもしれませんがね)
お嬢は、このままでいいな、と思った。

ただ、受け入れる、という点で、お嬢はこのままでいい、と(その時は)思えた。
(その時は、というのは、やはり叱る場面が多すぎて、親子共々疲れ切ってしまう日も多々あるからだ。)

お嬢は何日かに一度、学校で手の甲にマジックで「56」という数字を書いて帰ってくる。色塗りもされていて、中々にカラフルな時もある。理由を聞くと、「だって56だから」と言い、明確な理由を答えてもらったことは、、ない。
ここ数年、なぜ「56」、、と時たま思っていた。

お嬢の表現するもの、書くもの、もうなんでも「わたし」が受け入れていればいっか、という気持ちの後押しになったような今回のテートモダンの鑑賞。

おそらく、お嬢がなぜ「56」が好きか、ということを「なぜ」と理由を探そうとすることが、もう凡人。そして愚問なのでしょう。

言葉以外での多様な表現、面白い。

すっかり、してやられた、実に面白い1日とその後の数日だった。次はお嬢と何をみて感じに行こう。

後日談として、わたしが熱く語ったアート通の友人から、後日贈り物が、、オノ・ヨーコの本だった。テンション爆上がり。ありがとう、友人!

読みましたよ、「いまあたなに知ってもらいたいこと」。

するする読めて、彼女の行為、アート、人で世界が「つながる」、ということを、わかりやすく優しく語って教えてくれているような1冊だった。この友人からのサプライズギフトがわたしの手元に届いたことが、もうすでに、オノ・ヨーコ作品をみに行ったわたしに何かが繋げられたと思う。そして、お嬢の不思議な行動もこだわりも、一時は優しく受け入れられる時もあるかもしれない、一時だけかもだけど。

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