【自閉症】幼少期のお嬢と最近の成長を比べてみると

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【自閉症】幼少期のお嬢

今、振り返っても幼い頃のお嬢との毎日は本当に大変だった。いや、今も大変なことはたくさんある。

今は13歳になったお嬢だが、お嬢の幼少期、わたしはお嬢が起きている間はずっと気を張っていた。

わたしは短気だ、子育てや教育に熱心でもないし、相当なずぼら母という認識はある。妊娠中も周りが出産に備えて妊娠や育児の本を読んでいる中、わたしは、太古の昔から多くの女性が成してきたこと、本なんかいらないだろう、と1冊も読まなかった。

そんな子育てを舐めてかかったわたしだったが、ただでさえ大変な子育ての上、わたしには自閉症と知的障害のあるお嬢がきてくれた。

初めての子育てと自閉症児の子育ては想像をはるかに超える大変さだった。

保育園にお迎えにいけば、クラスメイトがテレビをみている中、お嬢1人は違うことをしている。自由だ。

保育園からすぐに帰りたくとも、園庭で遊び、どれだけ名前を呼んでも無視される。周りの子は呼ばれると親のもとへ行く。

お嬢は衝動性があるので、欲求のままに動く。欲しければ誰のおもちゃでも手に取るし、制御しようが、説得しようが通じ合えない。公園に行くのが億劫で、人がいない時間や場所を狙って公園に行っていた。
わたしがヴィクトリア•ベッカムだったら、自宅にお嬢専用の遊具施設を作るのになぁ、、なんて何度も思った。

外出は手を繋いで隣を歩いてくれる、なんてことはなく、常に走るか飛び出すかなので、ハーネスを着用させていないと危険だった。手を繋いで隣に並んで歩く親子が眩しすぎた。

お嬢は言葉の意味も理解していなかったので、理屈を説明して理解することもできない。未来を見通す力もないので、時間の概念もない、思い通りにならないと暴れて癇癪を起こす。

お嬢が迷子になる、または衝動的に物を手にとって壊す、衝動的に走って見失う、というシュミレーションしかできなかったので2人でスーパーに買い物に行くこともできなかった。

途方に暮れた。

わたしの眉間にはもうとれないであろうシワができ、お嬢との生活は想像もしていなかった慌ただしい毎日となり、お嬢には、なんでわかってくれないの、なんて何百回言ってしまっただろう。毎日よく怒っていたし、泣いていたし、こんなに気が狂ったようになる自分に驚いた。

かわいくて仕方ないのに、あまりにも怒って落ち込む毎日に「発達障害」の育児とは、ここまで「わたし」という人間をおそろしく変えてしまうのか、と思った。(あくまでわたしの場合だが)

【自閉症】13歳の現在のお嬢

お嬢とわたしは2人で行動することが多く、ゆっくりゆっくりだが2人での外出も成長とともに変わってきた。

相変わらず、わたしの隣を歩かないお嬢は、安定のわたしの数メートル先を歩く。大きくなって手を繋ぐ機会も減ってきたが、横断歩道や信号では、渡る前に必ず止まって、わたしを待っていてくれる。

わたしが歩きながら携帯を触ろうとしようものなら、「危ない、マミー」と言い、歩きスマホはいけない、バッグに携帯をしまえと必死に行動で訴えてくる。

わたしが、「今日はお出かけの帰りにどこどこのスーパーでミルクを買って帰るのを覚えておいて」と伝えると、案の定、忘れていたわたしに「マミー、ここでミルク買うよ。」と思い出させてくれる。

いつの間にか、これが普通になってきて、今では覚えておきたいことはお嬢に伝えておくようにしている。例えば、お嬢の学校のユニフォームを着なくていい日、学校が半日で終わる日、イベントがある日、など。スーパーでは、買わなければいかないものをお嬢に伝えておくと、思い出させてくれることが多々ある。(もちろん、2人そろって忘れることもある)

また、お嬢はロンドンの地下鉄やバスが大好き。行き先や乗り換えもお嬢が連れて行ってくれることもある。ただ、お嬢の一番のお気に入りのロンドンアンダーグラウンド(地下鉄)のメトロポリタンラインに乗りたくて、最も近い方法ではなく、メトロポリタンラインを経由して帰らされることも多々あるが。

今では、お嬢とバスや地下鉄に乗っていても、わたし、、、お嬢の隣で寝ていられる。

うっかりうとうとしてしまったり、または、堂々とお嬢に「マミー眠いから寝るから」と宣言した上で寝てしまっても、降りる駅に着くとお嬢は必ず起こしてくれる。

先日は、駅構内で「ビクトリアラインの乗り場はどっち?」と女性に道を聞かれた際に、わたしが思い出すために考えていると、お嬢が「まっすぐ行って左」と女性に答えていた。驚いた。

あんなに多動で(いまも)、落ち着きがなくて(いまも)、わたしの声をいつも無視していたお嬢に、わたしは頼って、甘えてしまうことができている。

数年前のわたしに教えてやりたい。

「お嬢とスーパーにも行けるよ、買い物できるよ。」って。

「あと何年か経てば、電車の中でもお嬢の隣でぐーすか寝てるよ」って。

「今は走って追いかけてても、そのうち追いかけずとも、ちゃんと後ろを振り返って、あんたがいるかどうか確認しているよ」って。

「信号や横断歩道や車が危険ということも理解して、1人で勝手に渡ったりしないよ」って。

一度なんて、自宅に帰ろうとバスを待っていた際に、わたしが言った。

「このバスも家の最寄駅に行く方面のバスだから乗るよ。」

これに対してお嬢。

「これ、◯◯駅(自宅の最寄り駅)行かないよ。これ、乗らない。」

一刻も早く帰りたかったのと、自信満々だったわたしは、キレながらこう言った。(そう、わたしは短気)

「何、言ってるの、じゃあ、わたしがこのバスで帰るから、お嬢は違うバスで帰りな。」

はい、最低である。もちろん、お嬢が1人でバスに乗るわけもなく、お嬢は仕方ないなぁ、という諦めとともに、わたしとそのバスに乗った。

しばらくすると、わたしが思ってもいなかった場所でバスは曲がった。そう、自宅の最寄駅とは逆方向に。

わたしが最寄駅に行くと思っていたのは、完全な勘違いの思い違いだった。

しこたま、お嬢に謝った。止めてくれていたのに、キレる母。最低だ。

うちでは、このようなことがちょいちょいある。

そのたびに、お嬢は根が優しいので、(もちろんお門違いな癇癪も多々あるのだが)わたしが謝ると「いいよ」と満面の笑みで許してくれる。すげー、この子、と毎回関心する。

本当に本当に小さなことだが、できることが少しづつ増えてきている。

人のお菓子をみれば、「ちょーだい」と誰にでも言ってしまってたお嬢
人のおもちゃをみれば、手にとらなければ気が済まないお嬢
外にでれば、わたしに見向きもせず、走っていってしまったお嬢
周りに人がいてもお構いなしで動きまわって、人にぶつかっていたお嬢
場所も時間も気にせず、気に入らなければ、奇声を発して寝転んで暴れていたお嬢

今では、わたしはお嬢に甘えられる時もあるし、わたしが走って追いかけなくとも、お嬢はわたしを待っていてくれるし、人のものにも手を出さない。(多分、、)

たまたまお嬢が2歳の頃の動画をお嬢と見た際には、お嬢は公園で片っ端から知らない人のボールやスクーターを奪っていた。
その動画を見て、お嬢が言った。

「だめだね、わたし人のもの取らない」と。

笑えた。いや、これ、幼き日の愛しいお嬢ですから。

学校の帰りにおやつを持って迎えにくる他所のお子さんのお母さんに、「そのお菓子ちょうだい」と言っていたあなたに困り果てて、学校の先生とも対策をどうするかのミーティングもしたわよ。
当時は真剣に悩んだわよ。きっと周りの保護者も困っていたわよ。

まだまだ心配事は尽きない。

ただね、それは、定型発達の子どもと同じで、心配事は常にある、ただ、心配する内容が変わっていく。

まだまだ大変なこともあるし、できないこともたくさんある。たくさん努力や試行を凝らしてもできないこともまだまだある。

しかし、途方に暮れていた頃には、諦めなきゃいけないと思えていたことをやろうと思えたり、行けないと思っていた場所にも行こうと思えるようになった。

これからも、こうやって、たくさんの気づきをお嬢は与えてくれるのだろう。楽しみだ。

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